自己紹介

基本情報

こんにちは、アブーです!由来はリアルに使っているダンスネームで、ダンスを始めた当初にサークルの先輩から、アラジンに出てくるアブーに似てるからと名付けられました(笑)

仕事内容

メインの仕事はダンス関係、インストラクター業やダンスイベントでゲストショーをさせていただくこともあります。

現在はブログでも収益化できるよう奮闘中、記事は主に、医薬品開発職や派遣の研究職(研究補助)、英語学習、ダンス、読書がメインです。

ブログを始めたきっかけ

正直いうと、始まりは小遣い稼ぎのためでした(苦笑)

開始当初はトレンド記事を書いてアドセンスを貼るのがメインでしたが、世の中のトレンド自体にもともと興味がなく開設1ヶ月くらいでトレンド記事に飽きてしまいました(笑)

それから記事の書き方について調べていたら「過去の自分に向けて書くと人の役に立つ記事ができる」と知ったので、仕事のことについても書き始めた次第です。

特にCRA職についてはいくつか質問・コメントいただくこともあり、記事にしてよかったなと思うことが多いですね!

 

スポンサードリンク


ストーリー

※私の半生について書いてますので長いです。興味ない方はブログトップ画面に戻ってくださいw

中学までは人目を気にしがちで水泳が好きな普通の男子、高校では友達作りに失敗しゲーム三昧の日々(当時はペルソナ3・4、もしくはテイルズオブヴェスペリアの闘技場を延々繰り返していました)を送っていました。

大学は行かずに声優になりたいと親に相談したが、何か手に職を付けてからの方がいいんじゃないか?と的確なアドバイスを受け、辛うじて興味がある大学だと薬学かなと思っているうちに内部進学の希望調査を受け(大学の附属高校)、第7希望で受かった遺伝子工学の道に。

流石に高校時代の自分から変わりたいと思い大学のキャンパスをふらついていたところ、ダンスサークルを発見、見学のつもりで行ってみたらダンスネームを頂いたのでとりあえず行ってみることに。

ブレイクダンスかロボットダンスくらいしか知らない中、Lockダンスを始める。しかし、カッコよさが分からず早一ヶ月、辞めようとしていたところ、同サークルのOBアブーさんのショーを見てLockのカッコよさに気づきLockダンスにハマる。

大学1年生の夏、同サークルの合宿の参加を逃す(自動車の教習所に通うため)。このままではスキルで遅れを取ると考え、夏休みは教習所と練習の日々。

結果、夏休み明け「アブー上達した?」と言われ、これが自信になり更にダンスにハマる。

そして自信が付いた頃、同じ学科の友人Fから授業料に相当する札束を見せられる。「ダンスばかりやとあかん、勉強も頑張らな!」と学生の本分を想起。

大学1年生の前期では受けた講義のうち優評価(90点以上)の科目が5割だったところ、1年生後期では約8割を優評価にする、これも自信となり以降のテスト結果は8~9割が優となる。

大学3年、就職活動をする。それまで自分は一般的な会社員になって結婚してのんびり暮らすものだと考えていたが、どうせなら「人の健康を支える仕事がしたい」と考えるようになった。

しかし医薬品関係の仕事は学部卒からの就職だとほぼMR職になることに気づく。

医者にヘコヘコする営業ではなく、自分のスキル一本で食って行く姿に憧れ研究開発職、厳密には研究職に強く憧れ大学院進学を決意。

家から往復1時間半車を運転して辿り着く研究室、その上、マウス当番・器具洗浄当番をこなしつつ大学4年生の春から大学院受験の準備を始める。

加えてヘナチョコの英語力、研究への浅い理解、他の大学院志望者との遅れ、スタート時のハードルは少なくなかったが不思議と苦ではなかった。

朝9時スタートのマウス当番の2時間前に研究室に着き、英語の勉強もしくは実験、マウス当番の待ち時間には実験の続き、と作業ごとの待ち時間をテンポ良く挟む毎日。(夜はダンスの練習も欠かさなかった)

それでも滑り止めの一校目には落ちたが、めげずに上記の生活を継続、落ちた理由を分析・克服、結果、第一志望の大学院に合格。

大学院ではアカデミックな生物系の研究室とは打って変わり、白衣着用必須でカチカチの医学系、研究室も大学ではなく大学病院内にあった。

カルチャーショックに驚きつつも2ヶ月ほどで慣れ、研究に邁進する日々、この時も大学院から家まで往復4時間半というふざけた生活をしていた(まだ電車だったのが救い)。

そして気づけば就職活動、製薬企業の研究職からの内定は得られず、大手外資CROから内定を得る。

研究職はただでさえ狭過ぎる門、ましてやごく一般的な修士でなれるほど甘くはなかったと身を持って知った。

ただ当時は開発職に興味がなかった訳ではなく、一生懸命やれば面白みが見えてくるだろうと考えていた。加えて面白みが分からなかったらその時に対策を考えようと思い、CROへの就職を決意。

CROへの就職、入社当初の滑り出しは悪くなかった。研修中の座学は眠い時はあったものの、GCPや治験業務の話、臨床に近い知識を聞くことができたので面白かった。

しかし実務を経験し、終わらない仕事、できない仕事、社内外の人間からの圧迫感(社会人をしていればよくある程度だとは思うが)、被験者の命に関わる責任感、などなど状況に耐えきれなくなり、本当は自分は研究がしたいんじゃなかったのか?と思う日々が続いた。

待遇や世間体を考えると悩む事はあったが、何事も挑戦するなら早い方が良いと考え、特定派遣の研究職への転職を決意、転職成功。

一社目の派遣先は医薬品とは直接関係のない企業だったが、業界が違えば人が変わり、業務内容もCRAの時とは異なり得意分野だったため、世界が広くなったようで楽しかった。

ただ当時、結婚を考えている人がいたことがあり、収入の少なさが気になることが多くなった。

本気で研究職を目指すなら仕方ないことではあったが、最終的に自分は結婚の方を優先した。

自分にとって一番稼げる仕事と考えるとCRAだった、そして紆余曲折あってあれだけ嫌だったCRAの仕事に戻ると決めた。

曲なりにもCRA経験があったため転職は順風満帆、ではなく、それどころかブランクが1年近くあり、一度CRAを辞めた理由も開発ではなく研究がしたかったから。

面接中は前向きな言葉を言いつつも、表情やにじみ出る雰囲気からは心配を誘う、頼りない若者だっただろう。それでも覚悟を決め、やる気だけはあると伝え応募した後、無事にCRAへの復帰を果たす。

CRAに戻った当初も最初はよかった。一度嫌になった仕事ではあったが、離れてみて良かった点が多く見えてきたし、何より結婚に対する経済的な不安が消えて「よかった、これからCRAとして頑張って行こう」と思えた。

一旦研修が終えたものの、先輩や上司の姿を見てやはり「俺、CRAとしてやっていけるのか?」と思うようになった。この時から既に、「もっと面白いもの、イキイキと打ち込めるものがあるんじゃないか?」と思い始めていたと思う。

会社がプロジェクトを受注できず、仕事がない状態(俗にいう社内ニート)が続いたことも一因とは思うが、最終的には「CRAより面白いものがある」という結論には至っていたと思う。

ただ、そうは言っても会社を辞めて生活していける自信も準備もしていなかったため、ひたすら耐えるという選択肢しかなかった。

そして耐えるくらいならできる所まで頑張ろうと思い、既存のプロジェクトに無理やりねじ込んでもらった。この時は再び燃えたが、それでも業務を実際に経験すると「やっぱり違う気がする…」と悩む毎日。

ちなみに自身の情けなさが原因で、結婚を考えていた人とも別れることになった。結婚のため、それまで封印してきた声優の養成所に通い出したのもこの時期(笑)

また、少しして大学のサークルOBアブーさんのツテでダンスの仕事をさせてもらえることがあり、自分自身でもダンスの副業をできるようになった。

結婚準備にため貯金をしていたこともあり、CRAを辞めてダンスに仕事メインで生きることを考え始め、2019年12月末で退職することに。そして現在に至る。

これからの目標

もっと魅力的なダンサーになる、ブロガーとして稼ぐ、自分と関わってくれる人を幸せにしたい、いろいろありますねー。

あとはプログラミング勉強してみたいし、声優のお仕事もしたい、具体的な数値とかに落とし込んだりしないといけない部分もありますが、肩に力が入りそうなのでブログでは書かないでおきます(笑)

 

以上、無駄に長文な自己紹介でした。

こんな奴ですがどうぞよろしくお願いいたします!

 

スポンサードリンク

PAGE TOP